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解釈と関係の四則計算

詩人・茨木のり子さんの有名な詩、「自分の感受性くらい」を最近、頭の中でリピートしています。

 

ぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて

自分の感受性くらい自分で守ればかものよ

作者が自分に言っているのだという解釈もあるようですが、確かにそうかもしれませんね。自らの心には自ら水をやれという詩ですし。

感受性の強い心を守るということもあるし、感受性の在り方を守るということもあると思います。

何をどう感じるかは自分次第であり、その感受性で自分の心身がどう影響を受けるかも、コントロールすべき。そういうふうに私は受け止めています。最後に自分の心を守れるのは自分でしかない。

 

ありのままを感じ、それをどう受け止め解釈するかはコントロールできる。

 

正義感というのも、そういう種類のものじゃないかと思うのです。

昨日の日報に書いたような、市場がおかしくなっている、というようなことも、強引な売り方をする会社はそうせざるを得ない事情があったのかもしれない。そんな事情はいくらでも考えられます。

それは私にとっては正義じゃないけれど、じゃあ私にとっての正義はどうあるものなのか。正義は人によって違います。宗教の違い、宗教の解釈の違いのように。

 

正義じゃないと思ったものは、私にとって悪なのか。

正義じゃないけど、悪でもないのか。

 

言いたいことを好きに言うことと、はっきりものを言うこと。

支え合うことと、寄りかかり合うこと。

 

それらの違いは、解釈の仕方という四則計算の記号のようなものかもしれない。

割り算なのか、掛け算なのか、足し算なのか、引き算なのか。

5×20=100

5–20=–15

同じ数字でもそこにある解釈が×なのか、–なのかでこんなに結果が違う。

 

5さんと20さんが支え合っているとしたらそこの計算は×で結果は100。良い関係。

5さんと20さんが寄りかかりあっているとしたらこの計算は−で、–15。良くない関係。

 

正義の捉え方も、同じように計算できる気がする。

 

ある物事が正義だと捉えるなら+や×ならプラスになるし、

悪だと捉えるなら−や/になる。

 

掛けるも引くも、私の単なるイメージですけどね。×にするのか–にするのかは、自分で決めることだと言いたかったのです。

あるものと人、ものとものを数字に置き換え、解釈の仕方を四則計算に置き換えると、非常に判断がしやすくて結果の大きさも見えやすい。

 

これぞポジティブ。

そう思うのは私だけかもしれませんが、今のところ感受性を守るにはいいアイデアのように思っています。

 

そうそう、数字の部分で、

2さんと50さんの時もあれば、

–2さんと50さんの時もあるので、そこもちゃんと見極めなければなりません。

 

 

原田あやめ

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