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東日本大震災とショーン先生(眞蔵先生)

今日で東日本大震災が発生した日から8年です。死者1万5,897人、2,500人以上の方がいまだ行方不明。5万2,000人以上が避難中ということで、災害はまだ続いていると実感させられます。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、まだ災害と対峙している方々の生活が良きものになっていきますよう、お祈り申し上げます。

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もうすぐ3.11だと思いながらたまきた春号の制作を進めているとき、インタビュー「たまきた人」の眞蔵先生とお会いしたいと、こども学園の園長先生にご連絡をしました。

(今は帰化されて眞蔵先生なのですが、ショーン先生、と私も皆さんも呼んでいるので本記事でもニックネーム的に「ショーン先生」とさせていただきます)

「国際交流をはじめよう」という特集で、インタビューも外国人の方にお願いしようと思ったのですが、国際交流に関心のない読者もいます。ショーン先生は長く日本にいらっしゃるので、日本的なお話も出るのではないかと考えご連絡しました。

眞蔵先生が勤めるこども学園は、私の子どもがかつて通っていた幼稚園で、外国人の先生が常にいることも知っていたのです。

 

実際に、昨年帰化されて選挙にも必ず行くという、すっかり日本人になられていたショーン先生。

お話の中には、東日本大震災時の日本人のことも出てきました。ショーン先生自身、震災では大変な思いをされましたし、オーストラリア人から見た震災時の日本人、震災時に日本にいる息子を案ずるオーストラリアのお母さんの気持ちなども少しインタビューに書かせていただきました。

記事はこちらからお読みください(P6-7『たまきた人』)。

ショーン先生に教わった英会話はこちらから読めます

記事をお読みいただくと分かりますが、ショーン先生は東日本大震災のころ、再来日して東大和市の子ども学園で働く準備をしていました。

ちょうどこのとき、私の子どもも、子ども学園に通っていたのです。取材時、ショーン先生や当時からいる先生と、「あのときはジャングルジムが揺れて、園庭に子どもたちを集めて…」と震災当時の話のことも話しました。

たまたま、このお話を3.11のころ、3月1日発行のたまきた春号発行に掲載できるときに聞くというのは、やはり私が皆さんに伝えるべきことなんだと思いました。

そしてもう一つ不思議に思ったこと。

ショーン先生という存在は知っているものの、こどもが在園時は、あまり存在を感じていませんでした。ちょうど年少から入園してすぐ、ショーン先生は何かで辞められたとかで、いなくなっていたのです。それがなぜなのか知らなかったのですが、記事にありますように、日本かオーストラリアか、結論を出すためにいったんオーストラリアに戻られていたということ、震災のときには日本に戻られていたということを、8年後に取材という形で知ることになりました。

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少し、当時の記憶。

震災が起きたときは、子ども学園に車で迎えに行く途中、14時46分。車が大きく上下に揺れた感じがして、故障かと思いました。電線も揺れ、ほかの車が沿道に車を寄せ始め、車ではなく全体的に何か起きている、地震だ、とようやく気付きました。あわてて車を走らせ、預かる予定だった子どもの友だちも家に連れて帰り、余震が来て二人の子どもをテーブルの下に隠しました。テレビでは燃えながら波に流される家が映っていました。

夜の輪番停電のときには「シルバニアファミリー」の灯り(電池で点く)で子どもと過ごしました。

子どもがシルバニアファミリーの家を、津波を目の当たりにした東北の高台にある家に見立て、家に食事のおもちゃを並べました。

うさぎのお母さんの人形を動かしながら、

 

「こっちに逃げてきてください! 暖かい毛布と、ごはんがありますよ!」と言いました。

 

子どもながらになんとか助けたいと思っているのかと、涙が出たことを覚えています。

 

原田あやめ

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