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技術こそ平等である(2)

「技術こそ平等である」1回目から間が空いてしまいましたね。

技術こそ平等である(1)

平等にもいろいろ考え方があると思いますが私は「何かと何かの間に上下がないこと」だと思います。

「障害者を助けてあげる」「助けてもらう」

「子どもを育ててあげる」「育ててもらう」

「この地域を盛り上げてあげる」「盛り上げてもらう」

いずれも上下関係です。

 

「もらう」方に技術があり、「技術で稼いだお金で援助サービスを受ける」なら、「助けてもらう」にはならない。

自分で稼いだお金でサービスへの正当な対価を払っているのですから、そこに上下はありません。

 

障害があろうが人間的に問題があろうが「このことはこの人に頼めば間違いない」という技術があれば、人に求められるし、稼げる。好きも嫌いもない。

技術に対する対価をもらい、その対価で違うものやサービスを買う。同じ価値同士の交換です。

今まで障害のある人を含めて、「この人には何の才能もない」と思ったことがない。

植物人間になった人でも何かを生み出すはずとまでは言いませんが(その介護や事故などの経緯から周りが何かを創り出すことはある)、そうでなければ何かしら稼げる能力を持っているのではないかと思うのです。

少なくとも一度は、それがないか本人や保護者が必死で探してみる必要があると思う。一つの力が日本一かもしれないし、二つ三つ持っている力を掛け合わせたら珍しいものが作れる人かもしれない。

 

 

障害のある人の中には、もっと何か持っている人がたくさんいるんじゃないかと思うのは、

今まで関わった広告担当者で一番度胸があって頭が切れると思った人が、首から下が動かない半身不随の人だったからです。

 

最初はその風貌に驚きました。見た目は、もう明らかに障害のある人です。しかし話してみると、脳に全てが集中しているからこうなのかと思うほど回転が早い。相手を瞬時に試す。この人は性能のいい脳と交渉術という高度な技術を持っている。そうして広告契約が成立し、私は対価を受け取りました。

 

上下はないし、面白い。「この人とんでもなく頭がいい」と思いましたし、先方も「お前やるな」と言っていました。敬意を表しあっている。10年以上経ちますが、忘れられません。

 

こういうふうに、人と関わっていたい。

どんなに身体に重い障害があっても、技術に対する正当な対価がある。

そこまで重い障害があるわけではなく、日常生活が普通に送れている人でも、好きとか嫌いだとか関係なく、そこにしかない技術があれば技術に対する対価を受け取れる。ここが平等。

 

その方が特殊だったかもしれないが、それほどの力を持っているのに気づいていない人がいるもしれない。だから、「何かあるかも」と探してはみるべきだと思うのです。

 

技術に対して正当な対価が支払われる経済社会ならではの平等だから。

 

ものの値段はうまいことできている。ちゃんと釣り合うように値段が付けられていると最近よく思います。誰がどんな人であってもこれが基準であればいい。経済に基づけば、一番ものごとを正確に測りやすいと思う。

 

だから、技術こそ平等であると思うのです。

 

(3)に続く

 

原田あやめ

 

 

 

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