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廃れるものには廃れる理由がある

民俗学に関心があったときがあり、沖縄県久高島の「イザイホー」について調べていました。

久高島では女性が30歳を過ぎると、70歳まで神女として生き、いろいろな祭祀を司ります。神女になるための儀式がイザイホーで、儀式だけでも5日かかる大掛かりなものなんですね。

過疎化により巫女になる女性がいなくなり、イザイホー自体が実行できなくなっているという記事がありました。一時期は外国人女性が巫女になったこともあったと思います。

沖縄にはノロというものもあり、こういった伝統文化がなくなるのはもったいない、なんとか残すべきと話したところ、夫が言いました。

「久高島にいる女性からしたら、巫女になりたいとは思わないんじゃない? なくなっても仕方ない気がするけど」。

なるほど。伝統文化を受け継ぐ人の立場を始めて考えました。

現代で、30を過ぎたら巫女として生きろと言われる。テレビなどがあれば島外の暮らしの情報は入るでしょうし、なぜ私がそんなことを?となるのが普通か。

過疎もあるし、女性がいたとしても島外に出るかもしれませんね。残ったところでやりたいとは思わないかと。

最近スーパーが軒並みセルフレジや会計機?になっていてその急速な普及に驚いていますが、たしかに計算なんてデジタルが一番得意なことなわけです。変わるべきものはどんどん変わり、人間の手でこそできたすごい技術も機械ができるようになり、人間しかできないものも、生活や仕事に必要のないものなら、なくなっていく。

新しい価値を生み出していかないと、廃れるものになってしまいますね。これからどんな価値を生めるだろう? 次のことを考えなければなりません。

 

 

原田あやめ

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